血まみれの紫ー拾壱ーそらはいい天気。雲もなく、太陽だけが、昼下がりの優しい日差しで街を照らしている。 ひとで賑わう大通り。馴染みの店をひやかしながら、オレはある所へ向かっていた。 色とりどりの花がある、花屋。 そこの店先へ顔を出すと、見慣れた顔があった。 「よう、アイノ。」 「リン様。私の働きはそんなに心配かしら?毎日お顔を出さなくってもいいのよ」 アイノは、先日オレが身請けした。そして、丁度人手の足りなかった花屋へと就職。そろそろ一週間になるか。 穏やかに笑う彼女は、あの頃よりももっと綺麗で、なにか、変わった。 実は、うちの隊員で、彼女に本気のやつがいて、そいつが彼女を妻にしたいという。しかし、一平卒の金では無理な話。そこで、オレが金を出したわけ。 別に、金は惜しくも何とも無い。 その代わりに、アイノが幸せになれるなら。…正直、少し寂しいけれど。あんな娼館で男の相手をしているよりは。 オレのささやく言葉よりも、あいつの言葉はもっと彼女に届くだろう。 オレの愛撫よりも、あいつの愛撫はもっと彼女を喜ばせるだろう。 そう、思うと、…やっぱり少し、寂しい。 アイノはきっとオレの姉みたいなもんなんだろう。さびしい時に抱きしめて、大丈夫よ、何も怖くないわ、と云ってくれて。辛い時に泣いてもいいのよ、と云ってくれて。 アイノは来月、この街を出て行く。 きっと、それ以来、逢うことはないのだろう。 いつかどこかで、逢っても、オレは知らないフリをしよう。きっとそれが、彼女にとって、一番…いい、未来の筈だから。 「カルア?どうして、俺を避けるんだ?」 中庭の隅。涼しげな風のそよぐ大木の下で、二人の青年が話していた。 ひとりは見事な金髪。もうひとりは焦茶の髪。カルアとルーファスであった。 カルアは目を伏せる。 ――脳裏をよぎる、記憶。 輪姦。男娼屈。…そして… 『知ってましたか?ルーファス殿には、婚約者がいるんですよ』 神父の…言葉と、辱め。 婚約者がいるなら、どうして俺を。どうして。 そう、云ってしまいたかった。 「好きなひとが――」 それは、 「好きな人が、できたんです。」 それは、余りにも、残酷で悲しい、裏切りの言葉。 カルアは笑った。悟られないよう、一生懸命作り笑いしてみせた。 「…え…」 ルーファスの動きが止まった。その、黒い瞳が云っている。なぜ、と。 「だからもう、隊長も俺のことは忘れてください。」 そう、云って、背を向けて、明るく云った。 「さよならしましょう?」 涙が伝っていた。カルアは歩き出した。 ルーファスが何か叫んでいた。 足を止めることは、…しなかった。 約束の時間。 「ああ。きましたか。カルアさんは本当にいい子ですねぇ」 「…」 無言で。投げやりな表情をしているカルアを、神父は抱き寄せて、 「どうしたんですか?そんなに暗い顔をして…、せっかくの美人さんが台無しですよ?」 でも、と神父は彼の身体を乱暴に床に引きずり倒した。 「そんな顔をしていても…、身体は敏感に感じてますものねぇ。ふふ、本当にかわいい子。さぁ、今日はどんな風にやりましょうか?」 「…勝手にすれば」 月明かりがステンドグラスを通して入ってくる。照らされた肌は白いけれど、まだ治っていない傷もあった。その傷を舌でえぐるようにすると、カルアは痛みにうめく。にやにやと笑いながら、神父は自分のモノをしごいた。 「あなたみたいに、綺麗な顔をして、綺麗な子は、穢したくなる。…ふふっ、さぁ、舐めて。よぉくなめるんですよ」 カルアは最近、夜中に抜け出すようになった。 だけど、オレも構っていられないのが、現状だ。 「陛下、最近…北が反発してる。今日殺ったやつも、北の間者だった」 金髪を揺らして、陛下はリンの右手を取る。 痛みに顔を少ししかめたのを、陛下は見逃しはしない。 「怪我をしただろう?…少し、休みなさい。もう、三日は寝ていないのだろう?」 その言葉に、リンは陛下に抱きついた。陛下も強く、抱きしめた。 「…大丈夫。オレは、陛下を護る為に生きてるんだ。寝なくたって死にゃしないよ。それに、陛下が抱きしめてくれるんなら、オレにとっては、それが一番の休息だよ。」 腕の中で目をつむると、陛下は優しくリンの髪をなでた。 ゆったりとねこのようにその手にすべてをゆだねる。 このひとときのために、生きる。 だから、オレはまだ――知らなかった。 部屋にいったん戻ると、やっぱりカルアはいなかった。…何処へいったんだろうか。ルーファスの部屋かな。と、ノック。 「誰だよ」 「…俺だ」 夜中にオレの部屋にやってくるたぁ、どういう了見だろう。なんかムカついたが、オレは一応ドアを10センチほど開けてしかめ面でルーファスを見た。 「何?オレもう今日は閉店。終了。相談も受け付けてません。お帰りください。」 「カルア…いないか?」 「――はぁ?」 素っ頓狂な声を出してしまった。オレはてっきり、ルーファスの部屋にいて、その間に夜這いにきたのかと… ルーファスはその声で、悟ったらしかった。目を伏せ、肩を落とす。 「…そうか。悪い。邪魔したな」 さっさと踵を返し、帰ろうとする。 「おい!待てよッ如何云うことだよ?!カルア、お前ンとこにいんじゃねぇのか?!」 「…いない。…もう、…違うんだ…」 肩越しに、目だけ向ける。その目は、ああ、しまった!失策だ!またオレは―― 去っていくルーファスの足音が無くなると同時、オレは窓枠を蹴った。三階分を難なく降りると、そのまま疾走する。 戦場はいつものように炎が飛び交っていた。難なく、オレは敵兵を蹴散らす。 つと、見ればもう二人ほど、派手な戦い方をしている輩がいる、誰だろうと目を細めると、(結構目は悪いのだ、)一人は見事な金髪で、一人は焦茶の髪で長衣を着ているから左官で…? ……金髪? 左官は間違い無く、ルーファスだろう。けど、金髪は…?誰だ?あんな、 「助けてくれぇえええ!」 「…」 柄尻で、突きを繰り出す。それで、姿勢を崩した所に、にじり寄る。「助けてくれ、殺さないで、殺さないで、」 「…」 相も変わらず、金髪は無表情に。見下ろしている。命乞いをする敵兵を。その腕に、切っ先をあてる。肘の関節の内側。柔らかい肉を引き裂く。 「ひぎゃああああああ!」 びしゃああっ。返り血に塗れて、笑った。 「…嘘だろ…?」 命乞いをするひとまで斬るの、とオレを責めたのはカルアだった。 捕虜の拷問に手心を加えてやったのもカルアだった。 妻子のある敵兵は怪我だけで済ましてやっていたのも、カルアだった…。 呆然、と突っ立ったまま、オレはそのあるまじき光景を見ていた。 そう在れ、と云ったのはオレだった。 そう在らねば、としていたのはカルアだった。 けれど、けれどこんなのは、 「違う…だろ?なぁ、カルア…?」 戦場なのに、がしゃん、と音がしてオレの手から剣が落ちた。 熱い雫が頬を伝っていった。 「違うだろ…?」 呟きは、殺しを楽しんでいるカルアには、…聞こえない。聞こえない…。 雨が地面に染みこむ。深い深い血の後を染めて広げていく。 腐敗臭が漂ってくる。 雲は遠く遠く、ゆらゆらと速く揺れている。灰とも黒ともつかない、炭のようないろをして。 雨に濡れて、オレはカルアの殺した敵兵を見て回った。 「これも…これも、これもこれもこれもこれもこれも」 目玉をくりぬかれ。腕をちぎられ。或いは顔を削がれ。虐殺――と云う名が相応しかった。 こんな殺し方は、オレ以外いなかった!よもや、…カルアが、あの優しい…カルアが…、こんな… 「こんな、はず、じゃあ…なかった。こんなはずじゃなかった!こんなの、こんなのない!こんなのないよ!神様、アンタ一体何処まで無慈悲なんだよ!カルアをあんな目にあわせといて!!今、こんな風になっちっまって!!ちきしょう、ちきしょうちきしょうちきしょう!」 天にむかって叫んだ。それはきっと誰も訊いていない。神なんか、いやしないのだから。これは、オレの独白だ。わがままだ。 おかしくなったのは何処から?何処から運命は狂っちまった?ああ、そうだ、あの事件。あの日から――あの日、オレがカルアと一緒に出ていれば。カルアをもっと見ていれば。そうしたら。あの子はあんな目に遭わずに済んだんだ。 「ぜんぶ…、全部ぜんぶオレの所為だ。オレの…オレの所為だっ」 冷たい雨は髪を伝って身体をぬらす。だけど、両目から涙が滴っていった。 「どうすればいい?なあ、どうすれば戻る?カルア…お前、どうしたら昔の優しいお前に戻ってくれるんだよ…?助けて、陛下、わからないよ…!」 屍の中、すわりこんでただ、泣きつづけた。 室内は暗いままだった。 ベッドの上で、ひざを抱えて何時間になるだろう。 如何でもいい。 カルアは帰ってこない。 今まで、あの子がどんなにオレを支えていてくれたのか、今漸くわかった。 失ってから気づくなんて、オレは大馬鹿者だ。 キィ…とドアが開いた。 「リンちゃん。濡れたままじゃ、風邪ひくよ…」 オレはひざを抱えたまま、顔をあげた。 「――カルア…」 リンの目は泣き腫らして真っ赤だった。今まで、ずっと泣いていたのだろうか?なんで? カルアはクローゼットからタオルを出して、笑んだ。 「ほら。シャワー浴びて。」 その、笑顔が、…無理に作っていると…わかって。リンはタオルを持っているカルアの手に額をつけた。 「カルア、…ごめん。ごめん。ごめんなさい…、ごめんなさい!ごめんなさい!」 カルアは一瞬、きょとんとした。が、また笑んだ。 「…どうして?リンちゃんは俺を助けてくれたよ。謝るなら俺の方だし。…ねえ、なんで泣くの?」 リンの謝罪はとまらない。涙も、止まらない。 「ごめん、なさい、ごめんなさい、ごめんなさい…!」 カルアはそっと、しゃくりあげるリンを抱き寄せた。今ではもう、カルアの方が背を追い越してしまった。 腕の中で泣きつづけるリンを抱えて、カルアは暗くなっていく窓の外を見上げた。 月がきれい…なんて綺麗な、紅い、つき。 群青の夜空と、灰色の雲に映えて。 カルアは笑いながら、泣いていた。 それさえも、気づかずに。 「ねぇリンちゃん、月がきれいだよ…?紅い月。あはは、綺麗だねぇ」 亡くした笑顔は戻らない。 亡くしたこころも戻らない。 亡くした愛も戻らない。 なんにも、戻らない…。 「リンちゃん…?」 泣き疲れて、否、きっとまた何日か眠っていないんだろう。眠ってしまったリンの頬をタオルで優しく拭ってやると、ベッドへ寝かせて毛布をかけてやる。 そして、カルアはまたドアを開けた。 「おやすみ。リンちゃん」 静かに、ドアをしめた。 TO BE CONTINUED…? |